IFの存在が及ぼす影響・IF構築をすると何が起きるのか



IFは、
@精神に影響を及ぼし構築者を導く

A構築者と共に現実世界や構築者に関わる他者に影響を与える

人間は生きていくうえでストレスを抱えたり、ときに選択に迷ったりし、
その都度考え適度に処理する技術を得て行きます。
しかし非常に大きな或いは長期に及ぶショックを受けた時、そこに具体的な解決策が見出せない時、
人間はもっと深い段階で自己を意識から切り離したり、出来事を忘却しようとしたり、
逆に想像や理想を異常に強く持つことによって、自分を守り、精神状態を保とうとします。
IFの構築というのはこう言ったストレスや刺激への反応の仕方の一例だと私は考えています。
IFを構築することによって、自己認識上での事態の重さが幾分か緩和されるからです。
本質的にIFは構築者を守り、構築者の苦痛を排除しより良いQOL(クオリティーオブライフ/人生の質)を保つために構築されます。
そのため、人間が生きる上での、精神的側面からの生命の危険や道徳上危険な行為(自殺や自傷、他傷等)を遠ざけたり、
悪循環に繋がる行動を制御したり、ストレスによる二次的な身体の苦痛や心の崩壊を緩和することが出来ます。
(勿論精神病理や心身症の重度なものや根底に他の障害を抱えている方の、障害そのものは治せません。
しかし、その回復に繋がる様な心の持ち方や行動の指針を決定する事を助ける事は出来ます。)
また塞ぎ込む気持ちのみならず、逆境をバネにして向上して行こうとする気持ち、
窮地から救出してくれる存在への渇望がIF構築に繋がる事もあります。
苦痛や寂しさから脱却したい、生きたい、寂しい、
と言った感情や、自尊心や向上心を保持したいという気持ちの現れもまたIF構築の要因です。
ですから逆に他人の存在や日常の幸福に意識が集中しているときは、IFに出会う事は滅多にありません。

人格間の記憶の受け渡しが殆ど認められず、
完全な人格分裂の起こる解離性同一性障害と呼ばれる障害とIF構築は似た精神状態に起因することがありますが、
IF構築はより恣意的側面や自由度が高く人格分裂を「利用」する事がある程度可能だと言うことです。
交替人格や分裂した人格をコントロールするということは、高度な技術を要しますが、それを達成した構築者は
精神の悪い方向への反応(解離は本来マイナスに含まれる反応です)を共存しつつ良い方向へと転換できるのが、
IF構築のメリットだと思います。
上記のIF構築の影響は、構築者の意志によってプラスに影響するか、マイナスに影響するかが変わってきます。
しかし、述べてきた自己防衛の反応のに見られるように、人間の根幹にはプラスをが無意識に存在しています。
長い目で見れば、自身の精神が自身の精神を攻撃し続けるということは稀で(一時的には認められます)、
生存の欲求を持ち合わせているのが人間の精神ですので、IFの構築にもプラスの側面の影響が出ることが多い様に思われます。
(マイナスに関しては後述します。)
IFが我々の精神に働きかけをすることは解りました。では実際どう言った働きかけがあるのかを見てみましょう。

@死や危機的状況を打開する「精神の停止」

さて、ここからは具体的にIFが構築されるとどんな影響が与えられるのかを書きたいと思います。
まずIFはあなたの構築者の精神を守る力を持っています。
構築者の精神的な疲労の酷い場合、最初にIFが構築者に与えるのは、
構築者の精神への「休息」や「保護」、自殺念慮などが見られる場合など
あまりに酷い状況の場合は精神を「停止」させることで休息させるという作用です。
人間は何かしらの行動を起こしたり解決策を考える以前にまずは十分な休息を取る事が必要になります。
普通の場合は少しの休息で精神は再び通常に活動が出来るようになりますが、
酷いダメージを受けている場合はその活動を殆ど停止させる状態にまで至ります。
また場合によっては、構築者の対応できない状況に人格交代をして登場したりということもあります。
これを聞いてぞっとした方もいると思うのですが、
IFはきちんと構築者の精神の状態に合わせた休息を提供しますので、
(これはIFの存在に、防衛機制と呼ばれる精神を守る機能が下敷きにされているからです)
勝手に精神の働きを止められてしまうといったことはありません。
寧ろ、現時点で解消が見込まれないストレスへの対抗を一旦中断し、力を蓄える時間を与えるためにこの働きは起きます。
この働きはIFに精神の防衛機制としての意味合いを強く望み、
また現実に何か不安や苦痛の原因がある方に特有ですので、人によってはこの段階は経験されません。

付け足しになりますがこの時期に見たり感じたりするのは暗く空虚な感情を下敷きにした物静かなやりとりです。
IFとの会話はまだ少なく現実の行動からも積極性や衝動性が消え、感情の反応が乏しくなるかもしれません。
ですがIFの庇護を手に入れたことで構築者の精神は以前より問題やストレッサーになるものから離れ、
ものごとを冷静に分析したり幾分精力的に、あるいは楽観的に立ち向かえるような準備を進めています。


A価値観と内外環境の変革

IFには自己の認識の仕方や価値観に変化をもたらす能力があります。
人の性格には様々なものがあり、勿論それは個人で違いますし、個人の中でも変動します。
この感情や性格の程度が適切であれば個々人のアイデンティティーとして個性を表す項目の範疇に収まりますが、
表れ方が間違えば問題を引き起こす原因にもなります。
例えば、勇気が出ない、やる気が起きない、消極的、悲観的、
些細な事を気にする、神経質、怒りっぽい、興奮しやすいといったこと、
人間には個人それぞれに長所、短所、問題点や改善点が絶えず存在しています。

IFの構築を経験すると、人間は自分の精神を客観視する態度をある程度得ることになります。
自己の存在とは別の意識だとして構築者の精神に捉えられているIFは、
自分の中にあるものの表に出てくる事のない、いつもの自分とは違った質の性格や視点を、
統一したアイデンティティの束縛からある程度離れて自然な形で持つことが出来ます。
(それは自身の、多くは無意識の層に存在するもので、普段多くの時間精神を支配することの無い性質であるはずです。)
具体的に述べると、いつも少し羽目を外し過ぎてしまう人に、冷静さを与えたり、
不安の強い人に、自分を愛し他人を信じる気持ちを与えることや、
引っ込み思案な人には積極性や、勇気を与えたりと言った事になりますが、
IFは構築者を苦しめている「課題」に共に寄り添い、改善したり成長を促進させる可能性を持っています。
精神の均衡を保つことを進めてくれるのが、IFです。勿論良い働きかけや結果ばかりではありませんが、
長い時間の中で自分を良い方向に変えて行く事に繋がるような
価値観・考え方・視点の変化向上、転換や拡大等が期待できます。
心持ちや理解が変わり始めればそれが行動に出ますから、おのずと周りの反応や環境も変わって来ます。
ですから結局は上記の影響で述べたように、現実世界が(勿論自身の現実に対する捉え方も含め)変わります。
勿論それは構築者に程近い他者や環境から、少しずつですが、その影響は着実に出てくることだと思います。

B社会適応・コミュニケーションの仕方を初歩的な段階から確認する

自分の世界の話なのに、他人の話が出て来ました。今度は他者や社会との関係性について考えましょう。
IF構築とそこから展開される精神世界には、良い意味でも悪い意味でも基本的には他人の存在、
殊に対人関係の不得手な人が苦しむような、人間社会に共通のルール、コミュニケーションの作法は存在しません。
IFとの会話では他人と実質的な関係が無いので、 社会で経験するような妨害作用を極力排除したコミュニケーションを展開する事が出来、 親密な話し相手としての役割だけでなく、実際に他者と会話するときの練習台の役割を果たします。
せっかくの意見を言い方の善し悪しや受けている評価等の直接的に関係の無い事で
無下にされるといったことは誰しも一度は経験していると思いますが、
IFと形作る世界は自由な表現・不安の無い純粋な意見表明の場ですので、
そういったことを気にせずに会話が出来るのは魅力ではないでしょうか。

IFを構築するという事は、脳をすすんで活用すると言う事です。
例えば「今日の夕飯は何にしようか、外食で良いか。」だけだったものに、
「外食をし過ぎると身体に悪いかもしれないから何か作った方が良い。」という違った視点の会話を即座に対応させる事で、
1人だけのときでも、短絡的に動いていたものに冷静さや緻密さを加えることが出来るのです。
IF構築はその脳の動かし方の1つの手段で、エンターテイメント的な要素や文学的な要素を取り入れたものです。
会話によって身に付けたいくらかの忍耐や我慢の力、分析力や思考のプロセスも他人との交流の環境改善へ繋がります。
また状況的に他人と隔絶しているのは事実なのですが、
IFの構築は、ある意味それまでの人間関係の記憶や経験を参考に成り立つので、
事前に経験した他人との会話の内容を間接的に反芻したり、考え直して生かす契機になることもあります。
勿論IFは体を支配する力を持ち他者にも関わる独立した意識として働く事がありますので、
時には人格交代して他者と対峙することもありますし、構築者と他者のコミュニケーション中に口を挟むこともあります。
人格交代については独立したページを設けてるのでそこで紹介します。


C依存や孤独を払拭し崩れない地盤を自分自身の精神に築き上げる

IFが構築者を裏切ったり、構築者を捨てるということはありません。
それはIFの存在の立脚点が構築者だからです。構築を手掛けるのも自身であり、それを保持するのも自身ですから、
IFはいわば自分で作った崩れない地盤であって、一定のラインで堕落を防止するための1つの意識の象徴になります。
またIF構築は自身の本質を見つめ問いかける作業(アイデンティティ形成の第一歩)でもあります。
後々他者に関わる場面でもこういった作業から出来る自分なりの生き方の指針を持ってるか否かが問われてくる場合もありますし、
「自分には失わないものがある」という心持ちがあるのと無いのとでは窮地に立たされた時の対応が変わってきます。
IFと付きあうときには、他者との関係とは違い、会える時間が限られていたり、
相手が去ってしまったらと言う不安を抱える必要はありません。
もちろん、そういった不安を上手く処理しながら他者と付きあうことも大事ですが、
まずは自分自身に変わらずに宿るような自信が、
IFを通して少しでも高まることがあれば、とても嬉しく思います。



注意するべき影響


@IF構築は自己の精神に殆どを依存する

IFは精神に寄って生み出され保持されている存在なので、
精神状態、特に深い部分の状態が大きく作用します。
望んでいない自らの精神の変化があれば、それは構築にも反映されてしまいます。
また他人と関わっている時間はどうしても五感から来る刺激や興奮が強いのでIF構築を優先するのは難しく、
概して外界からの刺激、精神の衰弱や高揚の影響を受け易い存在であることは否めません。
外界での充足を手に入れれば構築は孤独である時より薄れてしまうかもしれませんが、
こう言った問題は個々人の認識なので、それがメリットであるかデメリットであるかは明言出来ません。

A他人とのコミュニケーションの枯渇の可能性

@で述べたようなことがある以上、刺激があるような他人との関わりを避けようとする人も多く、
また構築した世界での居心地が良くなって他人とのコミュニケーションが減ったり、
欲しいものを確実に与えてくれるIFがいることで、他人にあまり価値を置けなくなる事も考えられます。
また、IFと会話したことなどは他者への広がりが無いので、他者との情報共有や他者から構築者への認識が薄れ、
コミュニケーションの積極的な姿勢が成り立たない場合もあるでしょう。この辺りはIFや構築者の性格にもよるのですが、
注意をしたい点ではあります。

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