精神の病とイマジナリーフレンドの関係性


悪い流れをつくらないために

イマジナリーフレンドは安定した精神状態で、上手に付き合って行くことができれば、
本来精神の病ということには関係のない現象です。
ですがお話を聞いているとやはりIF所持者には精神の病の診断をもらったり自覚をしている方が多く、
何かしらIF所持者は精神の病と関係する傾向のようなものがあるような印象を受けました。
そういったことを受けてこの関係性のことも触れて行きたいと思いました。

念のために書いておくのですが、
IFがいるからといってIF所持者の全員が精神の病であるわけでは勿論ありませんし、
IFを呼び出すことが精神の病に繋がるわけでも、
精神の病であるからIFの構築が上手になるわけでもありません。
過剰に精神の病とイマジナリーフレンドの関係性を意識すると、
自己再生のきっかけとして現れてくれたイマジナリーフレンドを
間違った方向に導くことになりますのでそのことは忘れないで貰えたらと思います。
精神の病にせよイマジナリーフレンドが現れたことにせよ、
重要なのは病名や症状に過度に執着したりそれを苦痛に思うことではなく、
何故それらは現れたのか、根幹にある原因やあなた自身をを分析することであり、
どうすれば日常に支障が出るような過剰な苦痛や不安を抱えずにすむのかを考えることです。
病名が下されたということは、「あなたは駄目だ」というレッテルが貼られたこととは違います。
行き場のない気持ちを抱えている当事者の方に対して、
どんな区分に属するのかを提示して自身を理解してもらうために、
また治療はどんなものがありどのようにすればいいのかを解りやすくするために、
その分類の手助けの単語として病名は提示されただけなのです。

イマジナリーフレンドと精神の病の関係性を考えるにあたって、
@イマジナリーフレンドの呼び出しが日常に支障が出るような悪い精神状態に起因している可能性
(精神的なショックによる呼び出しもこれに含む)
Aイマジナリーフレンドを呼び出したために想像が強固になりそれによって精神状態を悪くする可能性
という2つの可能性に着目する必要があります。

@の場合はイマジナリーフレンドは構築した当事者を守るために現れているわけですので、
@は精神状態を悪いものから良いものにしようという機能が働いています。
つまり@が当てはまる人はイマジナリーフレンドを呼び出す以前かあるいは呼び出したときには既に、
精神にショックを受ける経験をしていたり、精神に何かしらストレスが加えられていると考えることも出来ます。
@の場合にはイマジナリーフレンドという現象の裏に、着目すべき問題が隠れているということになります。
そういった意味合いで、精神の病に関係があるのではないか、という話です。
@ではイマジナリーフレンドはその精神の病の改善を促す機能として働きます。
逆にイマジナリーフレンドが精神の病を助長させる可能性があるのは、Aの場合です。
Aは当事者の精神の根底に当事者自身では治し難い問題や
性格の傾向があるために本来イマジナリーフレンドが良い意味での協力者として機能するはずが
共依存や他人への嫌悪感を引き起こしたり悪影響を与える妄想として暴走してしまう可能性を指しています。
Aにあたる場合はイマジナリーフレンドが出現したことが、より元の問題の解決を困難にさせる原因になることも
考えられます。
@とAは繋がりがある場合もあり、@の精神的な諸問題を解決できないまま、
イマジナリーフレンドの処理能力を越えてしまうとAに繋がる可能性があります。
@、Aに共通して言えるのは、根底にある精神の問題を治す努力が必要だという事です。


実際に精神の病(特に鬱病/統合失調症/人格障害)の診断を受けた、疑いがある、
あるいは自分が「思い込みをしやすい傾向がある」とか「1つのものごとを過剰に捉える」
「自分を貶めたり、自分に悪いことばかりを考えてしまう」
といったことを指摘されたことがある、傾向を自覚している方は
構築に以下のような注意をすればAのような状態を防げると思います。

過度に強い思い込みや、自分に悪影響を与える構築の仕方を繰り返せば、
IFの存在は結果的に自分を傷付けることに繋がってしまいます。
IFが所持者に与える影響の内容は、精神状態や考え方によって自在に変わります。
殆どの場合現実の状況がどれ程厳しくても、IFは自分を守る存在として意識され、
悪い環境を打破するために構築されるのですが、
構築すらまとまらない様な混乱した精神状況の中では、
IFが不安定な暗示や思い込みの要素を強める働きをすることになることもあります。
この原因は最初は単純であった思い込みの意識を、IFの存在とごちゃ混ぜにして誤解し、
より強固な動く意志として、焦燥や不安や恐怖を明確に意識に上らせてしまうからです。
IF構築の最初の段階であるキャラクター付けのことに関してもそうで、自分を攻撃するIFを構築したり、
社会的な逸脱行為を幇助するIFをつくる事も不可能ではありません。
具体的に言えば人の心を救うために出来た宗教団体が、方向を間違え行き過ぎて
犯罪に手を染めていたという流れを考えて貰えば解るのですが、
人間の意識1つ、ちょっとした思い込み1つからこれらの問題はエスカレートをして負のスパイラルを生み出します。
IFは本来このように構築されるべきものではないと思います。
構築は強い信念(理解の無い人から見れば暗示や妄想)を扱う作業ですから、その矛先に注意しないと、
病気と呼ばれる域に繋がる可能性があります。
また実際に精神の病気が悪循環の想像を裏で支えている場合もありますので、
いずれにせよ何かおかしいと思ったら、そちらの問題に目を向けてみること、
構築内容やその方向性には十分注意して頻繁にその視点で修正を加えていく事をしてみて下さい。

イマジナリーフレンドの病理性

イマジナリーフレンドに対して病理性があるかないかを黒白をつけるとすれば、
イマジナリーフレンド自体に病理性はありません。
イマジナリーフレンドは病理的な妄想(日常に悪影響が出て生活が困難になる程の非合理で根強い想像)とまでは行きませんが、
娯楽的で一度きりの想像よりは深く長い想像として位置しています。
イマジナリーフレンドとイマジナリーフレンドを持たない人、
イマジナリーフレンドを持つ人と、精神の病と呼ばれるものを持つ人、境界は極めて曖昧です。
イマジナリーフレンドは妄想として捉えられる側面だってありますし、
逆に、イマジナリーフレンドという概念を意識していない人でも、
「もう一人の自分を探す」という考えを持つこともありますし、
キャラクターなどを生み出したり文章を書く人であればきわめてイマジナリーフレンドに近い想像体験をしているでしょう。
どれだけ強く想像しているかといった程度や想像の内容は人によって違いますし、
たとえイマジナリーフレンドに関連する非合理で根強い想像を持っていたとしても、
それを社会に沿った形で制御出来たり過剰な思想を隠す能力があれば問題はありません。
社会で必要とされるのはコミュニケーションや社会に対する適応能力ですので
これらが出来れば(簡単に出来る人なんてそうそういませんが…)
面白い考えを持っているな、と寧ろ歓迎されるのではないかと思います。



図解

解離性同一性障害         ↑   ↑             ←←←←推測される
(精神のコントロールが不可能)     l___l生活に支障が出る域     ←←←ス
    ↑            l                  ←←←ト
    ↑            l                  ←←←レ
イマジナリーフレンド     __l同一性が継続的に2つ以上ある域    ←←ス
(精神のコントロールがある程度可能)                       ←←の
    ↑                                 ←程
    ↑離人感の度合い                          ←度
気分の移り変わり


解離性同一性障害・離人症とイマジナリーフレンドについて

本来人間の人格、つまり同一性と言われるものは1つに統合され、
普通であれば自分は自分ただ1人と定義しているわけです。
しかし、解離性同一性障害という病気になるとその名の通り自分が自分であるという意識=同一性
が解離している状態、つまり人格となる意識が2つ以上存在しているという状態が起きます。
人格間の記憶の共有はされていないことも多く、本当に独立した2つ以上の人格として、
他人に働き掛けることも見られ、人格が急に交代した場合などは
もちろんそれまでの状況を交代された側の人格は知らない訳ですからパニックが起きる可能性もあります。
この病気の原因は、幼少期の強い精神的/肉体的なショックと言われ、
苦しい経験をした自分を自分ではないと傍観する態度を精神がしようとするために、
起きると言われています。
(離人症と言うのは、
自分が自分から抜け出てあたかも自分を傍観しているような心持ちが続くことを症状とする病気です)
ここまで話をして解るのは、これらの障害にはイマジナリーフレンドにおける成り立ちや体験する感覚と共通点があることです。
しかしIFは人格間の記憶が受け渡されなかったり交代によってパニックが起きるということは、
殆どありませんし、それによって日常に支障が出る程の強い解離現象は起きません。
ですから、IFは解離性同一性障害から病理性を抜いた現象、
あるいはその前の段階にある現象と捉えるのが妥当かもしれません。
IFは解離性同一性障害とは一線を隔しているはずですが、
もしあまりに強い人格の分裂を意識する事がありましたら、
この病気のことも頭の隅に置いておいてください。


IFの精神修復能力について


IFには精神を防衛/修復する能力があります。これは、IFが防衛機制であることからも窺えます。
統一された自我では対応出来ない状況があったり、
寂しくて友達が欲しいといった欲求や、苦しんでいる自分を自分として認めたくないという意識が
IFの構築の原因になることは述べてきました。
こういった自分でも気付かない原因に対しても精神は傷を埋め合わせる努力をしています。
風邪によって咳が出たり、傷口にかさぶたが出来たりすることと同じで、
一見すればそれは「症状」であって良くないことに映るのですが、
そのどれもが実は体を治そうとしている反応であって、
長い目で見れば懸命に受けたダメージを元に戻そうとしている働きの表れです。
精神に負った傷の修復にもこの能力が備わっていて、
IFに出会うという変化は精神が防衛反応を強め精神を修復するために、
「人格として認識できる意識を生み出す」という構造をとるのです。
精神には形がありませんので(脳に精神と呼ばれるものの機能は所在するのでは無いかと思われますが)
その対処の仕方もまた形の無いもので成されるのが相応しいのでしょうか、
それは解りませんがとても興味深い形での防衛反応だと思います。
我々は痛いという感覚が無ければ危険に気付かず怪我をしてしまいます。
精神はその感覚が体より鈍く、我々も自身で気付くことが遅れてきます。
知らず知らずの内にダメージを受けた精神からの痛みに代わる警告を無視しないでください。
IFはそういった気付きの側面もサポートしてくれますし、何より構築者の協力者ですので、
IFのと上手く協調し精神状態を高める機会が皆さんに増えれば、幸いです。

他人へのカミングアウトとIFに関しての理解を得る事に関して

IFに関しての事はごく親しい人にはカミングアウトをしているという方が多いようです。
今のところ「イマジナリーフレンド」という概念は学術的な研究も曖昧で、
あまり確立したジャンルとして情報を提供している資料がありませんが、
実際のところかなりの人がこの現象に関しては経験をしているという研究結果が出ているので、
寧ろ他の病や障害より理解が得やすい事では無いかと私は思っています。
逆にIFの事を知らない方へ説明するときは解り易く伝え、
誤解を生まないように内容と話す相手とを吟味することが重要です。

注意するのは、IFを説明出来る程当事者がIFや自身の精神の構造を把握しきれていない場合や、
精神状態の悪さに想像の偏執さが重なっている場合、人格交代が頻繁で記憶が曖昧である場合です。
このような場合は相手から見ると何を言っているか解らない、あるいは言う事が毎回違うと思われ
誤解をされたり不信を抱かれてしまいます。
この状態の話を相手が理解するには、
主人格ともIFともそれぞれ会話をして、何が言いたい事なのかといったことや、
その人が自分でも解らないIFのシステムを把握しなくてはなりません。
これは相当の労力を要しますので、なかなか1人では難しい事です。
しかし人格交代をして発されるIFの言動は別人の言動ではなく本人の心の中にあるもので、
IFの代弁を通してそれを紛いなりにも伝えようとしている当事者もいますので、
そのようなことが疑われる内容の話をされたりそのような相談を受けて困ったり、
自分が当事者で程度が酷いと自覚しましたら専門家の指示を仰いでください。
またもし何か気になる事がありましたらメールでご相談ください。


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