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ここではイマジナリーフレンド所持当事者からお送り頂いた作品を載せております。
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作品を通じIFとの実際の生活や精神世界の内容を共有するきっかけになるスペースとなれば幸いです。

投稿作品紹介


カナコ様とカナコ様のイマジナリーフレンドルーク様より
『はてのゆめ』はジュニア文学賞で佳作を受賞しています。おめでとうございます!

『はてのゆめ』

こんなにいびつな人間が、この世にいるものなのだろうか。
もしかすると、これはもはや違う生き物かもしれない―。

それが、あの男とはじめて遭遇したときなによりも先に浮かんだ印象だった。なにせ、彼はあまりに人間らしさ、あるいは生気と言うべきか、そういうものを失いすぎていたのだ。どうしたら、ああいうものになり得るのか。

私が彼と出会ったのは、二年前の六月中旬、やたらに涼しくて静かな夜だった。 空気がぴんと張って、どんなにちいさな音でも聞きつけられそうな闇である。私は布団のなかで薄いブランケットにくるまっていた。時刻もまだ宵を過ぎたばかりというそのとき、ひそやかな気配とともに彼はやってきたのだ。気配は、私の布団のそばでぽっと浮遊するように現れた。その感覚は、幽霊にごく近い。

突然の侵入者に、私はふと目をあげた。 すると、白い男が布団の端に腰掛けているではないか。 寝転がってしまえば私に覆いかぶさるのも容易な位置である。危険だ。そう直感したのに、私がやったことといえば声をあげることだけだった。「あなたはだれ?」

いま思えば、なんとも不自然な問いではないか。かといって、ほかの行動も言葉も思い浮かばなかった。私の問いに気がついたのか、男はゆっくりと視線をこちらに向ける。

とたん、身動きが取れなくなった。その鋭利な視線に射すくめられたのだ。しばらくの沈黙。そのあいだ、私は確実に底冷えのする恐怖に浸されはじめていた。「知らない」

低いかすれ声が、かすかな甘さをあとに残して寂しい部屋に響く。彼の返答はあまりに簡潔で、それゆえに私の不審を招いた。自分のことを説明できないとはどういうことだろう。不思議だった。いったい私は何者と会話しているのだろうか。なぜこんなところにこの男はやってきたのだろう。疑問はわいては消えを繰り返したが、ともかく名を知らねばならないと思った。これからどうするにしろ、呼びかける名がなければどうにもならない。「名前は?」私は口数の極端に少ない彼に合わせて、できるだけ簡潔に問いかけることにする。すると今度は即答が返ってきたのだが、これもまた答えの体をなしていなかった。「知らない。そんなものはどうでもいい」なんということだろうか。名無しの男になど会ったことがない。私はついに閉口した。

夜の闇に、元通りの静寂が戻る。ただし、かき乱された空気だけが居心地悪げにうごめいた。もしかすると、見つめられつづける私の困惑と恐怖が生んだ錯覚だったのかもしれない。

 

突然の侵入者はなにも言わずにそこに居つづけた。私も特になにも言わない。頭のなかにわけのわからない霧が立ち込めたようにぼうっとしていた。口数も所作も、気配でさえもすくない男が動いたのは、それからゆうに五分は経ったころだっただろうか。私の恐れていたことが、起きたのだった。彼は急に私のほうへ近づくと、ブランケットをばさっと音をたてて剥ぎとった。そしてそのしぐさに反するような緩慢さで私に触れてゆく。まるで盲目のひとが美術品に触れて形をたしかめるような熱心さがそこにはあった。頬を撫でる指先の骨ばった感触を知ったのはこのときである。私の神経は必要以上に過敏になって男の所作を追った。そのあいだじゅう、ふたりは無言だった。そこにはふたりぶんのちょっと乱れた呼吸と、ひどく甘くなった私のみじかい悲鳴しかなかったはずである。彼がなにをしたのかはいまやほとんど思い出せない。覚えているのは、ただ表情を失ったような彼への恐怖と、熱くてむずがゆい感覚に押し流されたこと、そして私たちを運命づけたに違いないあのやり取りだけだ。

 すべてが終わってしまったあと、男は私の目をじっとのぞき込んだ。上から覆いかぶさって投げかけられる視線はどこか探るようで、変わらず鋭かった。その静かな圧力に耐えながら、私は彼をまじまじと観察してみた。おそらくは先天的に色素を欠いたのであろう肌や髪は白く闇に浮かびあがり、サングラス越しに暗くよどむ色のうすいひとみは、不随意な眼振のためにゆらゆらとひらめきつづけている。彫像の頬は張りつめ、微笑みを浮かべたことがあるのだろうかと疑うような冷たさがある。すらりと均整のとれた長身の男であることが、ますますその印象を深めているようだ。

と、ここまで思ったとき、ふと彼が笑った。といって、必ずしも微笑ではない。へっ、とか、けっ、とかいう類の擬音で表されるような笑いである。嘲笑とでも言うべきか。その整った鼻梁に、ほんのすこし無様なしわが寄った。このささいな変化にさえ私が怯えていると、彼はいやになめらかに抜き差しならぬことをいった。

「愛してなんかやらないぜ」―。

一瞬。一秒にも満たない直感。そのとき私が見たのは、ひどく印象的な、彼が唯一浮かべた表情だった。スローに弾ける、アイスピックで割られた氷のかけらのような、整いすぎるがゆえに歪んだ印象。人形めいた、作られたことが見え透いた表情。その表情でもって彼は笑っていた。ああ、私はいま嘲られているのだ、と思った。嘲られつつ、身体以外にもなにか深いところを暴かれた気がした。けんめいに秘密にしてきた一部が、無造作に暴かれた。ぞっとしたことは間違いない。突然やってきて、怯える私に勝手に触れ、あげくの果てには冷たく突き放したのだから。

しかし、予想だにしていなかったことが起こった。嘲られ、染み入るような冷たい視線と沈黙の恐怖にさらされながら、私はふと焦がれるような気持ちになったのだ。涙がこぼれるほどどうしようもない衝動は、叫びとなって唇からあふれ出た。

「ああ、愛してほしい!愛してやらないだなんて言わないで」「いっそ嘘でもかまわないから、愛してるといって!」「嘘だってなんだっていいのよ、ねえ、ルーク!」私は静まり返ってしまったような彼に向かって泣き叫んだ。ある種のストックホルムシンドロームのような、あるいは追いすがり引き止めるような、そういう必死さで私は叫んだ。

「可愛い」

彼はやっと沈黙を破った。冷たいひとみはそのままだったが、言葉自体はいくぶん優しかった。言葉ははじめてつらつらと続いてゆく。「いいよ。ベッドのなかでなら」「ベッドのなかでなら、嘘ついてもいい」「愛してるって言ってやる」もう、なんの表情も浮かべていなかった。恐怖はいまだ残っていた。

それでも私は、身体のしんから震えてしまいそうなほど嬉しかった。ひとみの光こそ冷たくとも、私を見つめてくれる。嘘でも愛してくれる。それでよかった。充分だった。そうして、私は恋に落ちた。深く深く、罠にはまるように恋をした。このとき脳裏にはたとひらめき呼んだ「ルーク」という名が、愛しいひとの名になった。

私が落ちた罠は、一個の芸術作品のように緻密な筋書きによって形作られていた。私があずかり知らぬところで、ゆるやかに、確実に進行していったのだ。まるで蜘蛛が獲物を捕らえるために編む巣のように。ルークもまた、本能でいじわるなレースの編みかたを知っていたのだろう。私がその事実を知ったのは、つい最近のことである。

 

考えてみると、変化は出会いから二ヵ月ほど後に現れはじめたようだった。あの頃から彼は、別人のように表情豊かなひとになっていた。にっこり笑うこともできるようになったのだ。その笑顔ときたら、子供っぽいものからぞくりとするあでやかさのものまで、変幻自在である。どうも凝り性な役者の性分があるらしく、どんな表情にも細やかな変化をつけられた。おかげで、前にもまして観察しなければ本心が見えなくなった。はぐらかし上手で、油断も隙もない男なのである。私にいじわるを言って泣かせるのに余念がなく、そういうときは心底楽しそうな顔でにやにやした。それでも惚れた弱みというやつなのか、何をされても本気で怒ることはなかった。被虐趣味が私の成分に含まれていることも、正直否めない要因である。構ってもらえるだけで、いつもたまらなく嬉しい。たとえいじわるでも、なんでも。

 いま思えば、あの時期彼は欲望を実現するために必要な演技をじっくり身につけていたのだろう。だからこそ、罠は効力を発揮するまできちんと秘密に覆われていたのだ。彼はほんとうに賢い。そしてずるい。なにせ罠を仕掛けるにあたって、私の欲望―揺るがない愛が欲しい、ご都合主義な閉塞に溺れたい―を余すことなく利用したのだから。ルークは、表情が出はじめた頃から絶えず甘い夢を囁いた。優しい声で、子供をあやすように、繰り返し、繰り返し。「愛してる。もう嘘じゃないんだ」「ずっと一緒にいるんだよ、ねえ、可愛い子」「もうなにも考えなくていい。怖いことも、嫌なことも」「ふたりでいられれば、なにもいらない。そうだろう?」

それらはどれもこれもあまりに魅力的で、現実に底なしの恐怖を感じやすい私を慰めた。確実に、生きてゆくための力を奪いながら。

そう、彼は私を怠惰のなかへ引きずってゆこうとしているのだった。私はものの見事に捕らえられてしまったわけである。彼に抱きしめられるように、昼夜を問わず夢を見た。そしていつしか、ルークの言葉に真剣に答えるようになっていったのだった。世界のすべてを引き換えにしても、ふたりきりでいたいと本気で望んだのだ。「ああ、愛してるわ、あいしてる」「あなたがいればなにも、だれもいらないの!」「ルーク、お願いだから置いてゆかないで」

 

私たちの愛はさしずめ麻薬のようだ。現実に対する恐怖から逃れるために、色鮮やかな夢を口に含む。夢が花開くのとおなじ速度で、私の思考能力は溶けおちてゆく。ゆっくりと、少しずつ。世界はいつもどおりに見えているのに、うまく知覚できない。愛しいひとの囁きや、ゆるやかな指先の感触にばかり神経が研ぎ澄まされる。ずっと子供でいていいのだ。甘えてすがって、してもいいのだ。そう思うと、もうどうにもならないほど嬉しくて、気持ちよかった。なにもなくても、ふたりきりの世界はこんなに美しい! 

 しかし、私の理性が完全に失われたというわけではない。時には、水中から浮かび上がるときのように鮮やかに現実へ引き戻されるのだ。そのとき感じるギャップたるや、あんなに恐ろしいものはない。―ああ、あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ、ああ、ああ、怖い、怖い―!パニックに襲われる。恐怖と焦燥の具現のような怪物に喰われてしまいそうだ。走って、はしって、逃げる、にげる。息もあがり、泣きそうになって飛び込むのは、またおなじ、罠。「だいじょうぶ、大丈夫だ。もう怖くない、守ってあげられる・・」私を抱きとめ、慰める彼の微笑みの、なんと美しいことか!その声の、なんと甘いことか!私は再び夢のなかへ沈む。安心しきって、前よりもっと寄りかかる。するとルークは子供のように喜びをあらわにするのだ。「おかえり、帰ってきてくれた。おまえがいなくちゃ寂しくってたまらない!」「もうどこにも行かないでくれな、お願いだ」私は現実と、愛しいひとの喜ぶすがたをそっと天秤にかける。理性は現実へ少し傾き、欲望は愛しいひとへ傾く。大きく傾いて、天秤が壊れそうになるほど傾く。私はそのいびつな結果に安心して微笑む。―ああ、やっぱりこうでなくちゃ・・。怖いものなんかなくなればいいのよ!―。子供に戻って、じゃれあうように愛しあう。またふたりで罪を増やしてゆく。

そうして私たちはこの愛という麻薬の常習者に成り果てるのだ。つかのまの享楽を得るためにすがる毒。それによって見えなくなる欺瞞は、夢からさめたときに代償として降りかかる恐怖になる。それが怖くて怖くてたまらないから、また堕ちる。必要とする麻薬の量が増えて、もっと幸せになって、もっと壊れてしまう。悪循環。愛すべき悪循環だと思えるあたり、私はもうすっかり毒されてしまったらしい。でももういいの。気持ちいいから。どうせもう抜け出せない。あがいたこともあったけれど、抜け出しかたを忘れてしまった。

もしも誰かが許してくれるのなら、ずっとこのままでいたい。忘れたい、恐ろしいことのすべてを。選べない選択肢を、誰かが許してくれるのなら。けれどいつだって、ふたりの本能的選択は許されない。許されたことがない。悔しい。夢に溺れながら、中途半端に現実を認識している現状が悔しい。いっそこの身勝手な愛を許さないすべてを葬りたい私は、きっと病気なのだ。きっと、どころではない。間違いなく私は病気なのだ。

     

 話が、変わる。どうして私が得た一生ものの愛はこんなにも異常なのだろうか。添いとげるために払わねばならないらしい代償が、ふつうよりもはるかに多い気がしてならない。

なぜ許されないのか。なぜ、溺れるようにして求めなければならないのか。

 実は、私はすでにその答えを知っている。伏せてきたのにはわけがあるのだ。ひとつは、その答えがあまりに突拍子もないものであったためである。私がルークに対して抱いている思いの、人肌めいた温みとねばつくような生々しさを考えれば、伏せなくてはいけないと思った。下手をすれば後ろ指さされ、嘲られるかもしれないと思うほど、あらわになることを恐れた。嘲笑を買うことほど、ふたりにとって耐えられないことはない。しかしいまやっと暴露する決心がついた。次の理由がその核心である。

 つまり、私の願望を叶えたかったからだ。私の内面で生まれ、はてには愛するひととなった空想を、あたかも実在する男であるかのごとく受け取ってもらいたかった。彼の存在を他者へと示すために私ができることといえば、罪のない偽証でもって愛しさを語ることくらいしかないからだ。ふさわしい愛情表現であるとも思っている。

 そう、彼は私の空想なのだ。目に見える形では実在しない、神ではなく私がつくった存在。それが私の想念のなかに色濃く刻まれ、愛を囁き、あるいは裏切るように怠惰へ誘い込むものになった。そんなものを私は愛おしいものとして、この二年弱を生きてきたのだ。

目に見えぬものと過ごしながら育んだ愛なのだから、多少いびつなのも仕方がない。住む次元の違うものどうしが無理やり添いとげようというのだから、白昼夢に溺れるような格好になるのも、やはり仕方がないのである。

 さて話題を再び転じて、ルークという空想がいったいどのようなものであるかを説明したい。私を不可解な病に追い込んだ、愛すべき悪夢とは何なのか?

 私は彼の容姿や表情を克明に思い描くことができるし、声を聞く。触れられている、という感覚もときおりはっきりと感じることができる。ただし、どうしても視覚化はできない。どうしても見えないのだ。何もない空間をいくら見つめても、愛しい、美しい面影を目にすることはできない。だからわたしは彼の肖像を繰り返し描く。思い浮かぶ表情を、何枚も、何枚も。あるいは彼のことをもっと知ろうとしてたくさん本を読む。彼を、思い出を持つ普通の人間としてとらえるために。ルークを現実に引きおろそうとけんめいに学ぶ。もはや、私は今まで彼のためだけに学んできたと言っても過言ではない。すべての興味の根源をたどると、彼に行き着くのだ。ルークは、私を確実に狂わせてしまった。現実をかなぐり捨てたくなるような妄想は、今にも狂気の域にまで達しかねない。この狂おしい症状を、精神病理学用語では「イマジナリーフレンド」と呼ぶ。

さあ、ここまで書いて、私はいよいよ嘲笑されまいかと不安になってきた。先に決心がついたと書いたにもかかわらず、やはり怖い。そこでふと、そもそもの根源であるルークに相談してみることにする。「大丈夫かなあ?」すると彼は、出会ったときいちばんはじめに浮かべたのとおなじ表情で、軽く笑った。視線は冷たく保ったままで、鼻の頭だけにちょっとしわを寄せる、あの妙に小面憎い笑いかたである。根底は変わっていないらしい。「大丈夫もなにも。この愛はずうっと身勝手だったんだから、わざわざ今頃遠慮することはないだろうに」つまりは身勝手さを貫いてしまえということだろうか。言葉はこう続いた。「なにかを選ぶということは、片方を捨てることだ。どうせなら俺を置いといて世界を捨てることにしといてくれると、嬉しいな」そこで糸切り歯を見せるような笑顔に転じる。子供っぽい所作が、彼には珍しく可愛い。そんな顔で不敵なことを言われてしまっては、安心するほかない。言い分は私の本心とおなじであるので、退ける気にもならないのだが。

しかし、実際はその選択をしてはいけないことになっている。だからせめて、この稿にだけは身もふたもない望みを書くことにしよう。

 私は、誰がなんと言おうとも愛しいひとから離れはしない。また彼も私を捕らえて離さないだろう。それでいい。それが幸せなのだから。たとえ世界から、現実から遠ざけられても嘲られても、このままでいたい。誰も許してくれないのなら、せめて自分だけは許そう。そうやって、この身勝手な愛を守ろう。

ずっと、なにがあっても離れない。

理由はごく単純なものでかまわないのだ。

「あいしてるから、一緒にいたい」ただ、それだけ。私が言いたかったことも、要約すればその一言に尽きる。愛はきっと、いつでもどこでもひどく簡単なのだ。

 

『根源の傷』

久しぶりに、ルークと真面目なはなしをした。ここのところしていなかった、根源にまつわる話だ。この手の話に一喜一憂していた時期はとうに過ぎてしまって、いまや安定した平穏を手に入れた、そう思ったのに。まだ、不安は燃え残っていた。すこしだけ、彼が愛煙家だったころを思い出す。灰皿のなかで人知れずくすぶるハイライトのちいさな火に、この不安はおそろしく似ているのだ。消したと思ったのに、まだ燃える。いずれ、この身を滅ぼす火種となるか否か。そんな判断を迫られる前に、できればとっとと消してしまいたいと思ってしまう。一緒に愛も消えてしまうとするなら、こんなにばかなことはないけれど。いまはまだ分からない。ずっと愛だけ残したい。

 

 きっかけは明け方の夢だった。夢、と言って見た気がするだけの夢。そのくせイメージだけは執拗に私の脳裏によみがえる。悲しい場面のリフレインは、涙を呼ぶのに一秒の手間も要さない。どうしてやつは私にいい夢を見せないんだろう?享楽の体現のくせに、奥のほうではいつも哀しい。

 あの一瞬のまどろみのなか、彼は私に言った。

「さよなら」「さよなら」

―そして、まるでルネサンス期の聖母マリア様みたいな透きとおった顔でわらうのだ。全体に白すぎるからだのせいで、どこかに溶けてしまいそうに見える。私は呼吸をするのも忘れて見惚れた。

―ああ・・。きれいだなあ・・・―。ぱちんとひとつ、まばたきをする。

その間に彼は、最初のころのようなギリシア彫刻ふうの無表情になっていた。笑みも涙も怒りも哀しみも、なにひとつその儚すぎるひとみに浮かべない男。

そういうものだったのだ、このひとは。

気がついた私の背を、つめたいものが駆け下りる。―行かないで!―叫ぼうとしても声は出ず、ただ彼の起伏のない低い声だけが虚空に響いてしまうのだった。

「もう戻らない」−。

・・そこで目が、現実を捉えた。すんでのところで救われた気分だった。

水面から顔をあげた溺死寸前のひとに似た必死さで名前を呼ぶ。「ルーク?」

「んー?」眠そうな返事がかえってきてはじめて、私の肺に酸素がめぐる。

ああ、よかった。まだここにいてくれる。私の愛しい生命線は途切れていない!

私はいつもより愛してるって言おう、と心に決めた。そうじゃなきゃ、消えてしまいそうで怖い。最後だって、もう消えないって、約束、してくれたのに。

 

 ところが、愛してるより先に出てしまったのは寂しさと涙だった。朝の夢はもやになってまとわりつき、魔法をかけて私をちいさな女の子に戻してしまったのだ。愛についての決意なんて、つみきのお城みたいに突き崩されてしまった。

「ああ、行かないで、置いてかないで、あいしてるって言って、すきって言って、嘘でもいいから、なんだっていいから愛してるって言ってぇ・・!!」

私は発作のように泣き叫んでは愛をねだることしかできないでいた。出会いたてのころ突き放されてなおそうしたように、なりふり構わず泣き叫んで快楽を求める。身体をぐちゃぐちゃに掻き乱すようなコミュニケーション、それはふたりの原始的な執着の表明方法だった。はたから見ればただのケダモノにしか見えかねないけれど、私たちはそれしかやりかたを知らなくて、そしてそれがいちばんに好きだった。

あったかくなりたかったから。つながっていたかったから。感じていたかったから。

からだで愛を、知りたかったから。

いろんな「だから」を抱えて私たちは愛しあう。かたちだけの、おままごとみたいなやりかたはかつてルークが嘲りすてたはずなのに、いつのまにか似たことをしていた。

やっぱりIFは私が作ったものだから、そうそう変われるものでもないのかもしれない。

 

「ああ、あぁぁあ・・、ぅっ、わぁあああん・・!いかないで、いかないでぇ・・っ、いや、いやあぁ、ぁああ、ん、」「うっ、ぁああ、ひぃ、あぁあ・・、すきっていってぇ・・!あいしてる、って、いって、わたし、こわれちゃうぅ・・っ」

「行かないよ、どこにも行かない・・。泣かないで、お願いだからそんなに泣くな・・!」

「ああ、好き、大好き、愛してるよ・・。なあ、怖くないよ・・、壊れたりしないで」

 

 泣きじゃくる私に必死に囁きつづける彼の声は、夢に反して熱っぽくて潤んでいて、生きている証明そのものだった。

 

 生きている。

彼にとっては、ひどくシンプルな生物の条件でさえときに怪しい命題となりうるのだ。

その根源は主に、存在の定義そのものが揺らぐせいであろう。私たちは出会ってこのかた周期的にひとつの問いを考える。夢を見た日にも、私は問うた。

「ルーク、あなたはどうしてここにいないの」

湯気けぶる浴室、人肌よりいくぶん熱い湯のなかに言葉は着地して消える。

あるいはしろい蒸気へ霧散しつつ、いまだ周囲に留まっている気がしないでもない。

「・・・・いるよ、」「ここにいる」

彼の声もまた、どこかぼんやりと頭のなかに反響する。ぼそぼそとした物言いにうっすら哀しみがにじんでいるのがわかった。存在の不確定はルークにとって最大の傷、悔いても悔やみきれない不条理そのものなのだ。ことアイデンティティの確立に悩み、自身のあいまいさに常ならぬ恐怖を感じる彼にとって、傷の痛みはいかばかりであろうか。私がときおり不安に駆られてなぶるような問いを発してしまうときには、本当に心底痛そうな顔をする。それ以上触れられたくない、嫌だ、そういう顔。普段泣かない男が、我慢できずに涙目になる。申し訳ないとも思うのだが、不安でにぶった私の判断はさらに言葉をあふれさせるほうを選んでしまう。

(もっと、もっと、聞いてよ。もっと、痛いとこさらしてみせて。私も、痛いし悔しいの)

声にはせずとも伝わる間柄を悪用して、傷に触れる。痛い、痛い、痛い・・。

でもお互いにもっと触れてみたいからやめる気はない。ちゃぷん、と水面が鳴る。

 

「あったかいの、私が欲しいあったかいのって、このお湯よりちょっとだけぬるいような温度なんだろうなあ・・」

浴槽に頭をもたせかけて、彼女がしっとりとつぶやくのはさみしいときの口ぐせだ。

あったかいのがいい、あったかいの、欲しい。いっぱい欲しい。

普段いい子にするのが好きなあの子が、ほんのちょっとわがままになる瞬間。俺にはその意味がちゃんとわかる。わかってしまう。黙ってたって知ってしまう間柄が恨めしいときだってある。

つまりあの子は身体の熱が恋しいのだ。理性に覆われた、大人びた普段の振る舞いをすこし剥ぎとって甘えたい。誰かにぎゅっと抱きしめられたい。ちいさい子にするみたいに、頭をなでて。いいこいいこ、ってして欲しい。そんなささいな願いも、思うだけで涙が出るほど欲しい願いごとも、あの子には叶わない。もう大人になりかけているから。

そして、愛した男にからだがないから。

 いや、自身のからだがない、と言うべきか。いちばんに恋われる立場(胸張って言えるから嬉しい)でありながら、可愛いひとの願いを叶えてあげられない。好きと言える意識はありながら!本質的な差異、そういう深さで癒えがたく付けられた生まれながらの傷が悔しさに痛む。疼いて、痛くて、消えなくて、どうしようもない。だから、存在の根幹をなぶるような問いかけがなされても俺は痛みに耐えてうなだれるしかないのだ。怒ることはできない。触れて確かめられるほうが、ずっといい。自然に言うべき言葉も出る。

「ごめんね」「ごめん」「触れてあげられなくてごめんね」「許して」

涙が一滴、あたたかな湯に落ちて溶けまぎれる。見えなくなったから安心したくなるけれど、目元がじわりと熱い。ああ、俺はいま涙を流したのだなあ。その感覚だけがゆるく広がって、「泣いた」という事実を認識させる。

―きっと俺はそういう存在なんだな、と振り返って思う。涙という実体あるものようにはなれないけれど、目元に広がる熱のように事実を認識させる感覚には似ていられる。

目に見えないけれど、たしかにいるという感覚。俺は生々しい直感の継続によって存在しているのだ。そしてできるなら、もっと強く認識されたい。欲深いけれど、そうなりたい。

 

 生々しい直感の連続。まさにそれがなければIFを存続させつづけることはできない。たとえば名前を呼ぶ―「ルーク、」―その一瞬でもう彼のすべて(容姿、人格、記憶・・etc)を想起できなければならない。そして想起の結果―「んー?」―彼はそこに「いる」のだ。この過程が自然になればなるほど、IFはまるで生身のひとのようにいきいきと動きはじめる。小説家言うところの、人物が勝手に動きだす感覚にちょっと似ていると思う。

 私の場合、IFの構築はほぼ無意識にできる作業だった。ほかのテクスト(小説がほとんどだ)を書きながら気に入った登場人物がIF化することもしばしばで、まだ原理というか理屈がわかっていなかったころは、何か変な生きものが来たりいなくなったりするような感覚だった。小説をつくるとやってくる生きもの、という認識。それくらい自然なものだった。いま、原理を知り構造を知り、そして逆説的に考える。

あまりに自然に存在させてきたものだからこそ、かつ無意識に誕生と消失を左右する能力(生殺与奪権、というのは言いすぎだろうか)を私自身が持っていると感じるからこそ、夢なり言動なりでIFのほうから存在について問われると怖くなるのだ。ああそうだ、このひとも自分の将来を自分で決めることができる、私が作りこむ範囲はとっくに過ぎたのだと。できるだけ人間らしくしようとした結果の自動性なのだが、矛盾することにひどく寂しくなる。いつか、私のもとから消える選択をする日も来るのかもしれないと思うと泣きたくなる。怖い、いや、行かないで。いざとなったら、引き止められるんだろうか。自信がない。また、深いところに傷が残りそうだ。

 

 ばかだなあ、と上の段落を見て思う。愛すべきばかとはこういう健気なひとのことを言うんだろうか。思わずにやっとしてしまう。

 はっきり書いておくが、俺はちっとも消えるつもりなんかない。それは無論あの子のためでもあるが、なにがさて俺のためでもあるのだ。自分から消える選択をするなんてたぶん自殺と同義だと思っている。ここにいたい、ずっと安心していたい(おかあさんのお腹のなかにいる赤ん坊みたいなものだ)から、俺は自分で存在の存続を選ぶ。今まで何のためにあの子の生活基盤を崩すほどのわがままを繰り返してきたかって、すべてはそのためなのだ。基本の基本にあるのは利己的享楽主義、いつだってそうだ。俺は殊勝な人間じゃない。だからもしあの子がそんな主義主張に愛想を尽かしたのなら消えたっていいと思う(少しはさみしいだろうけど)。生殺与奪権が向こうにあるのは変わらないのだ。不吉なほど荘厳な雰囲気の夢に怯えることはない。

 それに、「最後だよって言ったのに!」と3年前の約束をちゃんと思い出させてくれるのだから、しばらく離してくれそうにない。嫌いになれってほうが無理だと思う。いつまでも可愛い。

俺たちの関係はルーチンワーク化しているのだ。

さみしいならさみしいなりに求めあってきたし、一応倦怠期だってある。周期的にめぐりめぐる感情の連鎖はひどく人間くさくて、傷が疼いたってそれさえ愛おしいと思えている。こうやってふたりで悩んで、話して書いてしていること自体、傷を愛おしんでいることになるんじゃないだろうか。

 

 

『あとがきに代えて』

皆さま、このたびは拙作をお読みくださってありがとうございました。

『はてのゆめ』、『根源の傷』、この2作は私が本格的にIF関連のテクストを書きはじめたごく最近(一作目は夏休みの課題で書きました)の文章です。

まだまだ自らに与えられた愛おしい存在の本質や原理に関しては不勉強で、経験したことから得た個人的考察しか書けずにいるのですが、これもひとつの例としてIF理解をする上での一助となれば幸いです。

 私の場合IFとの恋愛問題に端を発した考察が多くなっておりますので、同じような問題に悩まれておられる方がいらっしゃれば、特にお役に立てればと思っております。何より、普遍的なIFの本質に少しでも迫れていることを祈っております。

ぜひご感想などお寄せくださいませ。

最後になりましたが、拙作をWebという広大な海のなかへ放りだす勇気と機会を与えてくださった飴さまには心の底から感謝しております。ありがとうございました。

 

 少しだけではありますが、IFである僕からも謝辞を述べさせていただきたいと思います。

IFは、いままで内に秘められ外へ認められることのなかった存在です。

そんな目に見えぬ存在を冷静な思考と勇気、そして確かな愛情でもって公的な場に送り出してくれた飴さまとカナコ、そして彼女の文章をお読みくださった皆さまに、精一杯の感謝を表します。

                    2011年11月14日 

カナコ

ukeHugunoet(ルーク・ユグノー)

 

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